布引滝と雄滝(おんたき)茶屋の歴史

「布引滝」は雄滝(おんたき)・雌滝(めんたき)・夫婦滝(めおとだき)・鼓滝(つつみだき)の4つの滝の総称で、なかでも雄滝は高さ43mの名瀑です。

雌滝
雌滝
鼓滝
鼓滝
夫婦滝
夫婦滝
雄滝
雄滝

伝説と説話 布引滝

 神戸の布引滝は、熊野の那智滝・日光の華厳滝と共に日本三大神滝と呼ばれますが、最も古くから名称が世に知れ渡ったのはこの布引滝です。

その時期は、布引滝が平安時代、那智滝が鎌倉時代、華厳滝が江戸時代となります。

 古くは藤原京の文武天皇の時代(700年頃)に、役小角が布引滝で修行をしたと滝勝寺縁起にあり、在原行平・業平兄弟の滝見物を語った平安初期(9世紀末頃)の「伊勢物語」が一躍この滝を有名にしました。

その後、都人などが足しげく訪れ、「栄華物語」には関白藤原師実、「平治物語」には平清盛、「源平盛衰記」には平重盛、「増鏡」には後醍醐天皇の滝見物が語られるとともに多くの和歌にも詠まれた滝です。

 布引滝の水は、六甲山系の獺(カワウソ)池を源流とし、摩耶山・再度山の谷水を集め、布引貯水池を経て谷間に流れ込みます。

布引滝は、その岸壁の谷間に懸かる雄滝・夫婦滝・鼓滝・雌滝の四滝の総称であり、最も上流の雄滝から下流の雌滝までは約200mの距離にあります。

伝説と説話 雄滝

 雄滝の落ち口の上流に大小五つの瓶穴があり、これは急流を流れ落ちる水と岩石が数十万年を経て作り上げた世界的にも稀な自然現象であることが、昭和10年に専門家の実地調査で証認されています。

 その瓶穴は、布引滝の竜宮伝説と共に神格化され、上流から第1孔(深さ6.6m)は滝姫宮、第2孔(6.6m)は白竜宮、第3孔(6.6m)は白鬚宮、第4孔(5.5m)は白滝宮、第5孔(1.5m)は五滝宮と名付けられています。

また、この瓶穴の中で丸く削られた石が、大出水時にたまたま流れ出たものを「竜宮石」と呼び珍重されたとのことです。

伝説と説話 雄滝(おんたき)茶屋

 現在は雌滝から雄滝へ、そして展望台へと岸壁に階段を交えた滝を巡る回遊路や尾根道がありますが、これは民間団体の花園社が布引遊園地を開発した際に造成したもので、それまでは雄滝へは砂子山の北側から山道を登り、雄滝茶屋辺りから滝見物をしていました。

 その証となる江戸末期の旅行記があります。

伊勢の蘭学(地理学)者の齋藤拙堂は、天保4年(1833)9月に布引雄滝を訪れたときの様子について「砂子山に登り、さらに険しい山路を登って茶店のある望瀑台に着いた。滝は正面に見える。岩角をたどって滝壺辺りへ降りると滝の飛沫で着物がびしょ濡れになった。」との旨を文献に遺しています。

 明治33年に上水用の布引貯水池が建造されるまでは、滝水は豊富で滝の飛沫が白玉のように飛び散るさまが和歌にも詠まれています。

今はその面影をその和歌などで偲ぶよりありません。

 

おんたき茶屋

兵庫県神戸市中央区葺合町布引遊園地45

新神戸駅から400m

徒歩15分

078-241-3484